10月も半ばに差し掛かったものの依然として日中は汗ばむ陽気が続いていますね。
本当に一番いい季節にこうしてゆっくりした時間を過ごせていることに感謝している毎日です。
実は3週間の入院生活で体重は5キロ落ちました。ただでさえ、年齢の割に痩せ気味な体型からさらに痩せたので病人面にはなっているのでしょうか。
ちなみに入院時から伸ばしていた髭も御立派になって妙に気に入っているのでまだ残しているのも拍車をかけているのかもしれません笑
それでも体調はすこぶる良くて、薬の影響で無駄に毎日3時台に起床したり、無駄に食欲がわいて甘いものを欲したりする以外は正常なんだと思います。
今週からは高額な注射を打ちながらステロイドを減らしていくので、少しはこの異常な症状も落ち着いてくれればいいのですが、、、。
とは言え、入院前と大きく違うのは今後激しい運動はもうできないということなので、今年も来年ももうボート競技を趣味でやることも難しいのかもしれません。
もうそんなことを望む年齢でもないのですが。
さて、そんな私ですが、この部には希望や未来があることだけが唯一の励みです。
そして、今回のテーマはそう、事前に予告した通り、シリーズ最終回「未来」です。
続きをご覧ください。
次の景色へ
第1回から始まったこの連載も、今回で最後となりました。
創部。
継承。
発展。
転換。
再生。
そして未来。
60年という歴史を振り返りながら、その時代ごとに青学ボート部を支えてきた人たちの歩みを辿ってきました。
今回は、その歴史の先にある未来について考えてみたいと思います。
50周年から60周年へ
第5回では、休眠状態からの再生について振り返りました。
玉虫をはじめとする学生たちが入部し、ようやく青学ボート部が再び動き始めました。
当時の目標はシンプルでした。
まずは部員がいること。そしてレースに出ること。それだけで十分だったのです。
休眠状態からの再スタートだったのですから、それは決して簡単なことではありませんでした。
当時の私たちにとって、インカレに出場することは大きな目標でした。かつて当たり前だったことが当たり前ではなくなっていた時代です。
だからこそ、再びインカレへ出場した時には、「ああ、青学ボート部は戻ってきたんだな」と感じたことを覚えています。
しかし10年という時間は、人も組織も変えていきます。
インカレへ出る。それだけで満足していた時代は終わりました。
今は違います。
出るだけではなく勝ちたい。結果を残したい。もっと上を目指したい。そんな思いを持つ学生たちが増えてきました。
そしてインカレ出場だけでなく、インカレで勝つことも、以前より遥かに難しくなっています。
それでも挑戦したい。そう思う学生たちがいる。その姿を見ると、青学ボート部は確実に前へ進んできたのだと思います。
この10年の主役たち
私は監督としてこの10年余りを過ごしてきました。
しかし今振り返ると、この10年の主役は間違いなく卒業生たちです。
前回紹介した玉虫たちの世代の後も、その流れは途切れることなく続いていきます。
小林、川村、米山世代。
この年も多くの選手とマネージャー希望がいましたが、最後まで残ったのは数人でした。それでも個性溢れるメンバーを小林(現OB会幹事)がまとめてくれ、さらに次の世代となる桜田、森、大谷世代を育ててくれました。
桜田は私以来となる高校経験者であり、努力と才能ある小さな巨人でした。この世代はインカレや全日本新人でこそ結果を出せませんでしたが、東日本級での優勝をはじめ、当部の存在をアピールしてくれました。
ここに名前を挙げられずとも志半ばで部を離れはしたものの、多くの部員たちが青学ボート部で過ごし、卒業していきました。私からすれば途中退部しようと関わってくれた皆がれっきとした部員であり、OB、OGだと思って今も接しています。
正直に言えば、私は決して優秀な監督ではありませんでした。もっとできたこともあったと思います。もっと違う指導ができたのではないかと思うこともあります。
結果を出させてあげられなかった代もありました。悔しい思いをさせたこともあったと思います。
それでも彼らは続けてくれました。
そして卒業していきました。
さらに嬉しいことに、卒業した今でも青学ボート部を気にかけてくれています。
レース結果を見てくれる。ホームページを見てくれる。寄付や支援という形で応援してくれる。後輩たちを励ましてくれる。
それが本当に嬉しいのです。
特に忘れられないのが、暗黒のコロナ禍の時代です。
活動は大きく制限されました。勧誘も思うようにできませんでした。
そして桜田世代が引退となり、残った部員は当時、鏑木一人となりました。
振り返れば、これは私が学生時代に経験した状況に似ていたのかもしれません。
また同じことが繰り返されるのではないか。そんな不安がなかったと言えば嘘になります。
それでもやはりこの時もたった一人ではなかったのです。
だから鏑木は諦めませんでした。私も諦めませんでした。二人三脚で前に進みました。
するとそれ以降に鈴木、吉澤、智帆ちゃんが入部してくれ、淡路の世代に思いが繋がれました。
そして鏑木の卒業の時、多くの卒業生や関係者が集まりました。
その光景を見た時、「ああ、どんな逆境があっても諦めずに続けてきて良かったな」と心から思いました。
その思いは戦績や結果とはまた別の喜びでした。
私が卒業生に伝えたいこと
この機会なので、卒業生たちに伝えたいことがあります。
まずは感謝です。
ボート部に入ってきてくれてありがとう。4年間続けてくれてありがとう。
こんな監督についてきてくれてありがとう。
そして卒業した後も青学ボート部を気にかけてくれてありがとう。
皆と過ごした時間の中で、私自身も多くのことを学ばせてもらいました。
未熟だったと思います。失敗もたくさんありました。それでも一緒に挑戦してくれたことに感謝しています。
そして、もう一つだけ願いがあります。
それは、『ボート部で経験したことの意味を、いつか人生で回収してほしい。』
ということです。
苦しかったこと。悩んだこと。仲間とぶつかったこと。目標へ挑戦したこと。失敗したこと。達成したこと。
その経験が社会に出てから役立つ日がきっとあるはずです。
仕事かもしれません。家庭かもしれません。地域活動かもしれません。どんな形でも構いません。
もし青学ボート部で学んだことが、皆さんの人生のどこかで役立ったのなら。
もしその経験が誰かの役に立つことにつながったのなら。
それは皆さん自身の成果であると同時に、60年間続いてきた青学ボート部の価値だったのだと思います。
そしてそれは、私だけの願いではありません。
創部以来、多くの先輩方もまた、同じような思いで後輩たちを送り出してきたのではないでしょうか。
私もその歴史の一人として、皆さんがそれぞれの人生で活躍してくれることを心から願っています。
私たちは決して大きな組織ではありません。
OB・OGの数も他校と比べれば多いとは言えません。
それでも私は、このボート部で関わってきた一人ひとりを誇りに思っています。
そして皆がこれからの人生で活躍してくれることを楽しみにしています。
未来
60年の歴史を振り返って見えてきたことがあります。
それは、青学ボート部が続いてきた理由です。
人数が多かったから続いたわけではありません。
歴史が長かったから続いたわけでもありません。
設備が整っていたから続いたわけでもありません。
仲間がいたから続いた。私はそう思っています。
現役時代の私は仲間を求めていました。
同期と二人になった時、そのことを痛いほど感じました。
監督になってからも、もっと部員がいてくれたら。もっと仲間がいてくれたら。そう思ったことは何度もあります。
でも60年の歴史を振り返って、今は少し違う考えになりました。
私たちが欲しかったのは、ただの部員や人数ではありませんでした。
仲間でした。
同じ目標へ向かう仲間。
挑戦する仲間。
支え合う仲間。
そして次の世代へ思いを託していく仲間。
だから環境が必要でした。
だから方針が必要でした。
だから継承が必要でした。
創部した先輩たち。
部を守り続けた先輩たち。
発展させた先輩たち。
苦しい時代に灯を守った仲間たち。
再生を支えてくれた卒業生たち。
誰かが波を起こし、誰かがその波を受け継ぎ、また新しい波を生み出していく。
振り返れば、青学ボート部の60年はその繰り返しだったのかもしれません。
創部60周年。
ここはゴールではありません。
次の景色へ向かうための通過点です。
私たちはこれからも、青学らしくローイングに挑み続けます。
そして、この60年で受け継がれてきた思いを、また次の世代へ託していきたいと思います。
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