連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
先月のシルバーウィークは台風の影響もあり、せっかくの連休ながら予定が狂ってしまった方も多かったかもしれません。そういう意味では、この連休は久しぶりにゆっくり過ごせたという方もいらっしゃったのではないでしょうか。
私自身、先月のシルバーウィークは入院生活の真っ只中でした。ただただ終わりの見えない毎日を過ごしていたことを思うと、今こうして自宅で過ごせているだけでも気持ちはずいぶん違います。
とは言え、静養中の身ですので、ほぼ終日パソコンと向き合い、今だからこそできることを一つひとつ形にする日々を送っています。
不思議なもので、時間があると次々にやりたいことが浮かんできます。仕事から離れているはずなのに、気が付けば新しい企画を考えたり、形にしたりしていて、「このままでも結構忙しいな」と思う毎日です(笑)。
また、この連休中には東日本新人戦・スカル選手権も行われました。
インカレ以降、久しぶりのレースです。戸田へ行くことはまだできませんでしたが、結果やグループLINEから伝わってくる情報を頼りに、「今頃はこんな雰囲気なのかな」と想像していました。
新人戦は、多くの選手にとって初めて本格的なレースを経験する大会でもあります。
それぞれに目標や課題は違うと思いますが、何か一つでも次につながる経験になっていればうれしく思います。
それでは本題です。
シリーズ第4回「転換」。
続きをご覧ください。
仲間を求め続けた時代
前回は「発展」をテーマに、1990年代前半の青学ボート部について振り返りました。
記録によれば1992年春には37名の部員がおり、エイトとフォアをそれぞれ2杯組めるほどの規模であったこと、また1995年頃までは30名規模の部員が在籍していたことにも触れました。
この頃、人数が増えたことで青学ボート部はより多くの種目へ挑戦できるようになります。
創部当初は小艇中心に戦っていましたが、部員数の増加に伴い、フォアやエイトといったクルーボートにも挑戦できるようになりました。
そして、その規模の拡大は戦績という成果としても現れ始めます。全日本級の大会でも入賞を重ね、競技面でも結果を残していた時代でした。振り返れば、この頃の青学ボート部は一つの到達点だったのかもしれません。
しかし、その一方で、これを境に部員数は徐々に減少へ向かいます。
記録では1998年には9名まで落ち込みます。
そして私が入学したのは、ちょうどその翌年でした。
未来は突然やってくる
今振り返ってみると、不思議に思うことがあります。
おそらく部員が30人を超えていた時代、多くの人は10年後の青学ボート部がここまで少人数になるとは考えていなかったのではないでしょうか。もちろん部員数が減っていることは分かっていたと思います。しかし、それはどこか遠い未来の話だったのかもしれません。
自分たちが卒業しても次の代がいる。
その次の代もいる。
そう考えるのは自然なことです。
実際、青学ボート部も長い間そうやって続いてきました。しかし組織というものは、気付かないうちに姿を変えていきます。部員が減り始めると、その変化は少しずつ、そして確実に進んでいきます。
当時の盛り上がりを知る世代が卒業していく。新入部員は以前ほど増えない。
そして少しずつ、青学ボート部は違う時代へ入っていきました。
思いのある人しか残らなくなった
部員数が多い時代には、いろいろな人がいます。
全国を目指す人。
仲間との活動を楽しみたい人。
大学生活と両立しながら続ける人。
多少人が辞めたとしても、組織そのものは続いていきます。
しかし部員数が少なくなると状況は変わります。
ボートは決して楽なスポーツではありません。朝練があります。戸田への移動もあります。競技レベルが上がれば練習も厳しくなります。
もちろん、それに魅力を感じる人もいます。
一方で、「そこまでして続けたいわけではない」と思う人がいても不思議ではありません。
そして人が減ると、さらに人が減る。今振り返ると、まるで負の連鎖のような状態だった気もします。
結果として残るのは、ボートが好きな人。競技を続けたい人。
そして青学ボート部に何かしらの思いを持つ人たちでした。
私が入学した頃の青学ボート部
私は1999年4月に青山学院大学へ入学しました。記録上では部員数が一桁になっていた時代です。実際の部の構成も決して大きなものではありませんでした。
4年生の選手は1名。
3年生の選手も1名。
2年生の選手も1名。
そして新入生。
私の同期も選手1名とマネージャー1名でした。今振り返ると、かなり特殊な環境だったかもしれません。ただ当時の私は、そこまで危機感を持っていたわけではありませんでした。
むしろ目の前には希望がありました。
この人となら勝てる
4年生だった結城さんです。
私は結城さんを見て「すごいな」と思いました。
自分より速い。
自分より強い。
そして何より、ボートが本当に好きなのだろうと感じました。
だから自然と憧れました。
ボートの話ができる存在として。頼れる先輩として。この人に出会えたことは、私にとって幸運だったと思います。
そして、「この人と一緒なら勝てるかもしれない」とも思いました。
部員数は確かに少なかった。でも少ないから無理だとは感じませんでした。少なくても頑張れば結果を出せる。
そんな希望を与えてくれる存在だったのです。
仲間を求め続けた時代
しかし結城さんはこの年に引退します。
その後は同期と頑張ろうと思いました。
幸い、翌年には経験者の新入部員も入りました。これでまた前へ進める。そう思っていました。
ですが現実は簡単ではありませんでした。ボートに興味を持つ学生は多くありません。入ってくれた人が全員続けてくれるわけでもありません。翌年には後輩が離れ、残った選手は私と同期だけになりました。
たった二人。
今でもあの時の苦しさは覚えています。
競技が辛かったわけではありません。
練習が辛かったわけでもありません。
仲間がいないことが辛かったのです。
ボートは一人でも漕げます。
でも、一人で続けるスポーツではない。
私はそのことを、この頃に身をもって知りました。
入学した当時には想像もしなかった現実でした。
ボートを続けたくても、一緒に続ける仲間がいない。
今振り返れば、あれが私のボート人生で最初で最大の挫折だったのかもしれません。
それでも続けた
私たちは話し合い、一度活動を中断しました。一時的な中断だったと今だから言えますが、当時は半永久的に感じていました。
それでも何もしなかったわけではありません。春には勧誘活動だけは続けました。仲間がほしかったからです。
青学ボート部をなくしたくない。そこまでの思いはまだありませんでした。
ただ、「もう一度ボート部として活動したい」という気持ちは確かにありました。
その後、新しい部員も入りました。去っていく者もいました。残ってくれる者もいました。人数として見れば決して多くはありません。
しかし私たちは何度も立ち上がり、活動を続けました。
最後まで灯を消したくなかった
やがて4年生になり、同期とともに引退の時期を迎えます。
残った後輩はこの時、わずか一人。その後輩も学業への専念を考えていました。
普通なら私もここで競技生活を終えていたと思います。
しかし私はもう一年続ける決断をしました。最後まで結果に挑戦したい。入学時から抱いていた思いもありました。
でも今振り返ると、それだけではなかった気がします。
青学ボート部の灯を簡単に消したくなかった。そんな気持ちも、どこかにあったのだと思います。
そして5年目のインカレで銅メダルを獲得します。
もちろんうれしい結果でした。
しかし今の私にとって、あの時代を思い出すときに真っ先に浮かぶのはメダルや結果ではありません。
仲間を求め続けた日々です。
そしてインカレ当日。レース会場には多くのOB・OGの方々が来てくれていました。特に当時中心となって支えてくださっていたのが、現在OB会副会長を務める森本晃一さんでした。発展の時代を知る世代のOBが、苦しい時代を生きる私たちを支えてくれていた。
今思えば、それもまた青学ボート部らしさだったのかもしれません。
今につながる人たち
今振り返ってみると、不思議なことがあります。
当時一緒に活動していた人たちの多くが、今も青学ボート部を支えています。
入学当時に憧れた結城さん。
当時の監督だった小賀坂さん。
そして後に青学ボート部の灯を受け継いでくれる鈴木亮太たち。
当時はそんな未来を想像していませんでした。ただ目の前のことに必死だっただけです。しかし今なら分かります。
青学ボート部は、この時代に一度小さくなったのではなく、本当に大切なものを残しながら次の時代へ進んでいたのだと。
発展の先に訪れた転換の時代。それは決して華やかな時代ではありませんでした。しかし私は、この時代があったからこそ今の青学ボート部があるのだと思っています。
そして、この物語はまだ終わりません。
私が卒業した後、青学ボート部はさらに厳しい時代を迎えます。
ついには休眠状態へ。
途絶えかけたボート部の歴史。事実上、廃部と言っても過言ではない時代です。
それでもボート部はなくなりませんでした。
なぜだったのか。
誰がその灯を守り続けたのか。
それは次回、「再生」で振り返りたいと思います。
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