監督としての一つの転機

昨日、青山学院大学ボート部として激励会を開催させていただきました。

これは卒業する4年生を送り出すこと、そして今季開幕を迎える現役部員を共に激励する会として企画し、開催したものです。

この会には保護者の方や一部のOBらにも参加いただき盛大に開催することができました。

この四年間、コロナ禍にあって制限が多い中、こうした機会を一度も持てずにいましたが、ようやくそろそろと企画したシーズン終了の納会では、部員らがインフルエンザに感染し、開催中止を余儀なくされました。

よってその納会の代替開催という意味合いも込めていましたが、この数年、会うことができなかった人たちも交え、久々の再会を果たすこともできました。

まずは、お集まりいただきました皆さま、誠にありがとうございます。

本来であればより多くの関係者をお招きして行うことが筋だとは思いますが、会場の規模の問題や感染状況等も考慮したため、広く声掛けすることは断念させていただきました。その点については何卒ご容赦ください。

この日の主役の一人である鏑木は明日、卒業式を迎えます。最後のスピーチでは直々に手紙をもらいましたが、実はまだ読んでいません。

読むことに寂しさと嬉しさの両方を込み上げてきそうで、明日、卒業の日に読ませてもらうつもりです。

意外と涙もろい自分なので、あの場で読まれた時には皆さんの前で普段見せない姿をお見せしたかもしれませんので、鏑木の最後の気遣いにも感謝しています笑

いえ、彼自身もきっと、涙なくしていられなかったからこそ、手紙というかたちで贈ってくれたのだとも思っています。

鏑木とのことはこのブログでも何度も触れてきています。

2020年のコロナ初年度。勧誘行事も中止され、ボート部の活動すら送れていない中で唯一の新入部員として夏頃にやってきました。

ちょうどそう、この日、参加してくれていた桜田、森、大谷の4年次ですから引退が目の前にある中での継承者として現れたのが鏑木です。

この年はコロナの感染拡大で緊急事態宣言が繰り返される中、インカレ開催そのものが危ぶまれてもいました。

どうにか開催にもっていきたい一心で、当時立ち上がった現在の全日本大学連盟の前進の団体幹事に手上げまでして、開催検討に携わりながら、結果、なんとか念願の開催を果たすことができました。(もちろんこれは私自身の存在には全く影響はなく、共に同じ思いをもった多くの方の後押しがあったから実現できたことです)

但し、ここまではこの4年生らをなんとか最後の舞台に立たせたい、送り出したいという一心だけで突き進んできたものでした。

そしてこの大会を無事に終えて、一息ついたと同時に鏑木と新しいステージを夢見ることを開始したのです。

ここから二人での二人三脚が始まります。練習はと言うと当然私がいなければ練習にならないので、すべての練習に付きっきりでした。

ですから当時は週末に乗艇、水曜日にトレーニング、これを日課として恐らくほぼ休むことなく続けてきたと記憶しています。

時には仲違いのようにコミュニケーションすらとらない日もありました。

互いに何を感じているか、それすら伝えるべきか、会話すべきか悩みながら、でも必要なことは水上でどんな時も教えてきたつもりです。

彼にとっては私は本当にボートを教えてくれるただの指導者、監督という存在だったのでしょう。

実は今では部員や保護者の方にも監督と呼ばれますが、それまでの部員は私を『監督』ではなく『須田さん』と呼ぶ者ばかりだったはずです。

むしろ監督なんて呼ばれるとどこか小恥ずかしく、関係性すら狭めてしまうのではと、それを避けていた部分もありましたが、鏑木以降、皆、監督と呼び、今ではなんだかしっくりきています。

監督と呼ばれるからには責任が付きまとい、自分自身を指導者として高め、きちんと部を作っていかねばという思いに自然と変わっていったのかもしれませんね。

そう言う意味では鏑木との関係性、過ごした時間は監督人生で一つの転機となったのでしょう。

 

年が明けて春になると大学が長期の休みも取るため、毎週金曜日の半日は仕事を休んで練習の回数も増やしました。

レースに出ればこの終わりの見えない、刺激のない日々も何か変わるのでは、そう思ってなんとか出場を目指したお花見レガッタは無理がたたってか、私が体調を崩して棄権となりました。

でも彼は気にしないでゆっくり休んでくださいと気遣ってくれました。

そしてこの頃からか、二人の関係の中で何かが少しずつ変わり始めました。

コロナ禍で食事すらできずに練習が終われば会話なく、お疲れ様でしたと帰宅するだけの関係も、この時期に初めてランチをし、ボート以外の時間を過ごしたのもよく覚えています。

当時はやはり感染動向にはかなり気を遣っていたため、食事をするなんて言うと親御さんがどう思うだろうか、、、そんなことも実は気にしていたため、本当にコミュニケーションを取ることすら難しかった時代です。(今では笑い話ですけどね)

そして、ようやくレースに出たのが5月の戸田レガッタです。

この日、戸田のコースにいたうちの部の関係者は私と鏑木、そしてビデオ撮りに来てくれていた当時小学校5年生だった娘だけでした。

鏑木もこの激励会でのスピーチでもこの二人時代から考えると、今日この日、こうして大勢の方に囲まれていることの嬉しさを表現していましたが、本当に感慨深いものがあったはずです。

そこから、ここに至るまでなんとか部としての体をなし、多くの人に見守り、支えられながら発展を続けてきました。

昨日の私の閉会の挨拶でも触れましたが、コロナ禍にあって制限が多かった4年間でも、ボート部だけは進化を続けたのです。

俗に言う失われた4年間かもしれませんが、コロナ禍がなければこのような軌跡がなかったかもしれません。

私が名実ともに『監督』として歩み出せたのはきっと鏑木のおかげなんだと思います。だから今は卒業おめでとうという言葉に加えて、「ありがとう」、という言葉を伝えたいと思います。

もちろんそれまでの部員、そして今の部員、みんな私の宝物のような存在です。

誰一人欠かすことができない、皆がいたからこその今だといつも感謝の気持ちでいっぱいです。

そう、この日は激励をする日でありながら、私にとっては感謝を伝え合う日でもあったのです。

ですから私の挨拶ではこの場に集う皆さんに出来る限りの気持ちを伝えさせていただきました。

参加された方からも感謝の気持ちをたくさんいただきました。

きっと部員らもそうだと思います。

ありがとう。心からそう伝えられる、伝えていけるチームを作っていくことこそ、必要なことだと改めて気付かされる1日でもありました。

今季もまた多くの感謝の気持ちを届けていきましょう。さぁ、来週はいよいよ開幕です。

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