15年間という空白を経て

さて、どんな書き出しをしようか、なんてふと迷っているのが正直なところです。

昨日、第101回全日本ローイング選手権の最終日を終えました。過去の記録をJARAのサイトから調べてみましたが、青山学院大学ボート部にとっては実に15年ぶりにの同大会への出漕でした。

平成20年(2018年)の第85回大会にシングルスカルとダブルスカルの出漕記録がありましたが、その間、ここへ挑戦することがなかったのが現実なわけです。

もちろんその理由には、この年以降の部員不足もあって活動休止という状況に陥りました。2011年に私が監督のオファーを受け、正式に部員が入部したのが2013年の玉虫世代です。

それから10年かけて、ようやくこの舞台に当部は戻ってきました。

結果はと言うとJARAの公式サイトや当部のホームページでご覧いただける通り、惨敗かもしれません。それでもこの舞台に再び戻り、チャレンジした選手らをまずは讃えたいと思います。

前回の投稿でも書いた通り、今回は予定にない出漕でした。それでも舞台を海の森に移したこの大会に出ることが必ず先々生きてくるのだと信じて決断をしました。

実際にはエントリー後の棄権もあって、最終日のBファイナルを含んで計3レース漕ぐことができました。海という舞台で、風が強く吹いた日には戸田では考えられないような荒波のコースコンディションでのレースも体験しました。そして、なにより戸田ではない環境で、日本一を競う舞台に立てたこと、これが大きな前進でもあったでしょう。

とは言え、繰り返しになりますが、結果は惨敗でした。選手も私も皆がその覚悟はある程度はしていたことでしょう。それでも今日のレース後に話した鏑木からは来れてよかった、ここでレースに出られてよかったという思いを聞きました。

私もまったくその通りです。傍から見ればこの結果がどう映っているか分かりませんが、この結果を真摯に受け止めることができたことが、本当に一番の収穫なんだと思っているからです。

そして、JARAのサイトには惨敗でありばがらも当部がここに出漕した記録が記されます。活動を続け、こうした積み重ねで青山学院大学ボート部の存在、活動をPRすることにもつながります。

そして、いつかは志を抱いた者が、ここに足を踏み入れるかもしれないわけですから挑戦は必要なことなんだと思っています。

 

それにしても最高峰の舞台はやはりすごいものだと改めて感じます。天候によって劣悪なコースコンディションになる舞台ながら、戸田とは違う独特の雰囲気は日本一を目指すにはいい舞台であると思えました。

コロナ禍が過ぎ去り、表彰式や実況、応援なんかも戻ってきて、この舞台であることがより一層盛り上がりを見せていたような気もします。

一年前、実際に部員らと見学に訪れて、来年はここにくることを目標にということを当ブログでも書いていました。実際にここに来ることは叶いました。でもだからこそ、より高い目標に向けてもっともっと大きな壁を乗り越えて、本当の意味で目指さなければならないことも悟りました。

もちろんインカレが大きな目標です。それでもインカレで結果を出すためにもこの全日本選手権にも当たり前のように出漕することが必要なんだと思います。

過去の話ばかりして恐縮ですが、以前は出漕資格もなかったので、インカレが目標ながらここに出漕することが普通にできました。このレベルを知り、自分の足りなさに気づき、どこまで変わらなければいけないか。

目指すだけでなく、通過点とすることにも大きな意味をもっていたことを私自身も肌で感じていた、そのことを思い出させてくれた今年の挑戦でもあります。

それこそ、インカレに向けて覚悟を決めた1年。全日本選手権の結果から残り3ヶ月で変わらねば、と決意を固め、死に物狂いの3ヶ月にしたことは今でも記憶に残っています。

だからこそ、このレベルを体感し、現状を知ることができたなら、ここからの3ヶ月は今まで以上に厳しく、中身のあるものにしなければいけないのです。

その覚悟を改めて持つきっかけにできる今大会であったと思えます。

また大会期間中に全日程を帯同サポートしてくれた結城コーチをはじめ、関わってくれたその他の部員ら、そして現地や映像越しにご声援をいただいた多くの関係者の皆さまに改めて感謝を申し上げます。

今週末にはまた関東理工系レガッタも控えています。これをもって今季前半のレース続きも一旦一段落します。そしてこれを機会に体制や心身ともに大きな変革を行っていきたいと思います。

まだまだ我々には変わる余地も、変えていくだけの志があるのですから・・・。

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